いのち

【 命 】をあらためる。

生まれてきてはならない命などない。

ふとした事から、たくさんの事がよみがえってきた。

Aさんのママは 20の時に

遠いところから単身赴任でお仕事にきていた

ご家庭のある方と恋に落ち

Aさんを授かりましたそうな。

たくさんの波を乗り越えて

産むことを許され

パパさまも誕生を祝って下さった。

何度も足を運んで下さり

当時では叶わない写真屋さんでの一枚を残して下さっていました。

腰に母の手で支えを頂きながら

カメラを見つめるAさんの写真が

ずっと 彼女の心の支えとなっているそうです。

その後、ママは 23 才の若さで病で亡くなっています。あちらの世界へ旅立つその時に

まわりの家族にAさんをそばに連れてきてほしいと頼んだそうです。

可愛い盛りの我が子・・・

残していかなければならないその心・・・

ママとの別れがわからない我が子に

一所懸命、綺麗な小さな晴れ着を着せてあげたそうです。

元気に動く我が子に

寝たままで、袖を通すことの大変さ。

裏返しだったけれど

皆んなはそっと見守ったそうです。

綺麗な晴れ着をきた我が子を

言葉なく見つめて泣いていたそうです。

その子の未来を見つめていたのでしょうか。

Aさんは、両親の顔も覚えていません。

ママは大家族でしたが、古き時代で

写真などありません。

Aさんは、いつも、たった一枚の我が写真を眺めました。

その腰を支えてくれていた 【 指先 】を撫でながら

・・・これがかぁちゃんよ。って

母の顔が見たくて、その姿を見たくて

今にも、写真を裏返してみそうな表情・・・

ある日泣きながら言ったそうです。

・・・ 何で?

なんで一緒に写ってくれんやったとやろか。

なんでやろか。

大粒の涙がこぼれました。

そばにいたものは、背中をなでながら

ゆっくりと言葉にしました。

☝️ この写真を撮るときには、

お父さん・お母さんが揃って二人の宝物を見つめてたのよね。その時の二人の気持ちや表情を

想像してみてね。

幸せの瞬間がこの一枚よね。

☝️ お母さんは、お父さんの家庭を壊したくなかったから自分は入らなかったのかもね。

それに

子供だけなら、肌身離さず持っててもらえるし

写ってなくても、私もいつも一緒に・・・

そう思ったのかもね。

確かな事はわからないけれど

そんな事しか言葉にならなかったわ。と・・・

それでも

Aさんは、嬉しそうに頷いてくれましたのだと。

3歳で、母と死に別れてから

2度目の母は、被曝で亡くなり

3度目の母へ ・・・

☝️ いっぱい見守ってくれてるねぇ。

幸せねぇ。とAさんは笑う。

お盆のお墓まいりは

二日がかりですが、

手を合わせに行けているそうです。

20の若き女性が、この世に生み出してくれた

【 命 】

改めてます。

自分は産んで頂いたという事実がある事に

心から感謝できるという事。

命を頂いたからこそ

この世界を体験できているという事。

このお母さまに関しては

人の道をそれた流れとなったのでしょうが

23 才という若さで命が尽きたという

結果からみれば・・・

神さまのから頂けた流れだったのかもしれません。

時として深く心揺らす事があったとしても

我が人生は、限られている事を心において

一つ一つ 悔いのないように

自分で選んで進んで行きたいと思います。

我が子達へは

我よりも大切に思い、心配でもありますが

私の人生ではありません、

そてを心の中心において

見守り、少しばかりのアドバイスができるスタンスをとっていけたらと思います。

私が、私の母に

そうして頂いたように・・・